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デジタル後進国が本当に目指すべきところは何か [企画・思考]

デジタル後進国が本当に目指すべきところは何か
日本はいつの間にか、デジタル後進国になってしまった。
だから、先進国に追いつかなければならない。
・・・このような発想はもう旧いのではないかというのが私の考え方だ。
中山正和氏は「究極の問題解決学」で次のように語っておられる。
「あとがき」の部分だ。実に、1986年12月の記述だ。
少々長いが、引用させていただく。
    ◆
 この世では、秩序は無秩序に向かって進むことになっています。部屋の中は片付けても
片付けても散らかるし、立派なビルを建てても百年もすれば使い物にならなくなる。会社
の規則もだんだん守られなくなります。それが「定め」です。
 情報も同じこと、情報の「価値」は時とともに減っていきます。昔は通信手段が発達し
ていなかったから。情報に価値がありました。いい情報を手に入れたら当分はそれが役に
立ちましたが、今はそんなものはすぐ「公知の事実」になってしまいます。その情報の価
値がなくなってしまうのです。
 そうすると、当然ここに 「情報戦争」が起きます。なんとかしてライバルより質のいい
情報を手に入れようというとで、ますます通信技術の開発にカを注ぐことになります。
 ところが、情報というのは、人間の「判断」を加えてこそ情報であり得るのですから、
情報量が増えるということは、即人間が忙しくなることを意味します。しかもこれは、
「情報の質が低下する」という原則の中で起きることなのですから、たとえてみればザル
で水を掬うようなもので、人間生活の「ゆとり」という側面からみてこんなムダなことは
ないでしょう。
 ですから、このあたりで人間はこの「ザル水」地獄から抜け出す工夫をしなくては生き
てはいけなくなると思います。
 今までは無茶苦茶にアタマを使ってきたけれど、こんどはそれを効率的に使うことを
考えるべきときだということです。(以下略)
   ◆
まるで、「今」の状況を予言していたかのような記述だ。
 


さて、それで実際にはどうするかということだ。
中山氏の主張が正しければ、デジタル化をいくら進めても、その目的が明確でなければ、
さらに忙しい世の中がやって来るだけのようである。
少なくとも「何のためのデジタル化」なのかということは押さえておかなければならない
だろう。
そして、「ザル水」地獄から抜け出すには、様々なことの情報の「整理」が必要なのだと私は思う。
「整理」とは(行為的には)「捨てること」だと、今泉浩晃氏は言われた。
何を捨てるかは、よくよく考えるべきことだろう。
例えば、「働き方改革」で本当に時間的・精神的なゆとりができただろうか。そのようなことだ。
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