SSブログ

新学期のあたりまえを見直す 4 [企画・思考]

新学期のあたりまえを見直す 4
子供が指示に従わない
「黄金の3日間」という言葉がある。
この期間は、ほとんどすべての子供が、先生の言うことを聞く。
なぜなら、クラスがかわりみな何らかの希望を抱いてスタートするからだ。
担任は、まずクラスのルールを確立すべく、努力することになる。
しかし、そのような状況にあっても先生の言うことを聞かない、指示に従えない子が
出ることがある。
「黄金の3日間」が通用しない、あたりまえにならない子がいるのである。
そんな子をどうするか。
一言で言うなら「しかけて環境を変える」。私ならそうする。
 

続きを読む


nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

新学期のあたりまえを見直す 3 [企画・思考]

新学期のあたりまえを見直す 3

「音読が足りない」
長年現場にいて、最近特に感じることだ。
読み・書き・そろばん、という言葉は今でも基礎・基本の筆頭であるべきだ。
私はそう考えている。
読めなければ始まらないのである。
そのことを強く主張されたいたのが、あの岸本裕史先生だ。
私が就職して3年目の夏。岸本先生の講演を聴く機会を得た。
衝撃的な内容だった。
「『ゆとり』の時間が学習指導要領に記されたが、そんなものに惑わされては
いけません。私の場合は『ゆとり』の時間は『先生のの時間』です」
「とにかく、先生の言うとおりに基礎・基本を鍛えなければだめなんです」
そのようなことを繰り返し強調されていたのである。
そのときに伺ったのが、音読のお話だった。
「最近は、夕方になっても家々から子供が音読する声が聞こえてこない」というお話
だった。
4月、私はどの教科でもしつこいくらいに子供たちに音読させることをお勧めしたい。
なぜか。
次のようなことがわかるからである。
・すらすら読めるか。
・自信をもって読めるか。
・大事な言葉を捉えているか。
・持久力があるか。
・はっきりと読めるか(呼吸)。
・合わせようとしているか(斉読の場合)。
・伝わる読みをしているか。
・・・
私の妹の授業参観で実際にあった話である。
歴史の授業を子供たちが受けていた。
「坂上田村麻呂」を音読する場面があったそうだ。
指名された子は、「さかのうえの・たむらまろ」と読めずに、先生が何度も
「さかのうえ」が苗字で「たむらまろ」が名前ですと説明しても、
「さかのうえの・たむら・まろ」と読んでしまい教室中が笑いの渦に包まれた
というのだ。
その子にとっては坂上も田村もともに苗字という理解だったのだろう。
その子の名誉のために書いておくが、その後、近くの友達が丁寧に教えて
どこまでが苗字かわかったそうである。

4月。
どれほど、音読をさせているだろうか。
一人ひとりがどれくらいの難易度の文章をどれくらい読めているか、
特に意味理解がどれくらいできているか、丹念に一人ひとりの音読から教師は読み取る
必要があるのだと思う。
まず、音読を。
もっと、音読を。
繰り返し、音読を。
毎日、あたりまえのように音読しているクラスはそれを見直す必要はないと思うのだが。



nice!(3)  コメント(1) 
共通テーマ:学校

新学期のあたりまえを見直す 2 [企画・思考]

新学期のあたりまえを見直す 2
整理・整頓。
これらを指導するのはなかなか難しいと私は思う。
が、おそらく全国の多くの学校で、これらが通知表の項目にあげられている
のではないかと思う。
まず、整理と整頓が一緒でいいのかという問題。
辞書にあたる。
整理
① 乱れているものをそろえ、ととのえること。 「引き出しを-する」 「論点を-する」
② 不必要なものを取り除くこと。 「小枝を-してから生ける」 「人員-」
③ ー略ー
(大辞林3版)
整頓
物事をととのった状態にすること。 「整理-」 「道具類を-する」
(大辞林3版)
これでは、違いが鮮明にならないと思った。
整理については、今泉浩晃氏が「メモ学入門」でマンダラを使い説明されている。
それについて私が書いた記事があったので、紹介しておく。
要するに、
整頓は見た目の美しさ。
整理は、不要なものをすてて、秩序立てて短時間で取り出せるようにすること。
そんな風に私は整理した。
整理・整頓はその両方が要求されるのだから、奥が深い。
各学年の目標も、当然変わるはずだ。
具体的に何を教えるか、そしてどう身につけさせるか、である。
「新学期のあたりまえを見直す」ことはこんなところにも潜んでいるのだと思う。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:学校

新学期のあたりまえを見直す 1 [企画・思考]

新学期のあたりまえを見直す 1
「馴質異化」という言葉がある。
見慣れたものを見慣れないものにすることだそうだ。
既に知っているもの・ことを新たな視点からみることで新しい着想を得る、
そのようなことだと思う。
教師もベテランになればなるほど、このことを肝に銘じておく必要があるのかも
しれない。慣れると、様々なことを無意識のうちに「自分の習慣として」進めて
しまう。「暗黙知」とか「非陳述記憶」などのメカニズムについては、改めて学び
直しておきたい。
具体例を挙げる。
新学期、いろいろな手紙を配布するだろう。
例えば、これを
・先生が配る
のか
・児童一人一人に取らせる
のかということだ。
先生が配ることが、あたりまえになっている。
あるいは、そのことしか頭にない場合は、二つ目の選択肢は自然と除外される。
問題は、二つの方法のどちらがベターかということだ。
あるいは、第3の道があるのかということだ。
いずれにしても、先生が配ることがあたりまえということでは、
馴質異化にはならないのである。
馴質異化は、創造性の技法だそうだ。
教師がまず創造性に目を向けることなしに、新学習指導要領にある、
「豊かな創造性を備え持続可能な社会の創り手となることが期待される児童」
の育成は難しいのではないか。私は常日頃そう考えている。
さて、問題はさらに具体的な方法をどうするかだ。
児童一人一人に取らせるは、方法ではあるが、一つの方向でもある。
一人一人に素早く取らせるための方法を具体的に考えるのである。
あるいは、子供とともに考えたり、子供に考えさせるのも学年によっては面白い
かもしれない。
私の経験では、一定のトレーニングを積むと、教師が配布するよりも子供に取ら
せた方がはるかにはやくなる。特に、配布する手紙が複数あるときはなおさらだ。
・「1分以内で全員が取り終えます」と指示を出す。
・取る順番を予め決めて、流れるように次々と取らせる。
・人同士がぶつからないように、もどる方向も決めておく。
・取ることに集中させる。
・・・
など、具体を考えることがあたりまえを見直すことにつながると思うが、どうだろうか。

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:学校