ルーディメンツ
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/
とある小学校教員のつぶやきです。教師の基礎・基本とは何か、どうすれば新しい実践を生み出すことができるか。そんなことを日々考えています。2011.4.24〜
たぬき3
2024-02-25T05:37:08+09:00
ja
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●教育実習がすべてを駄目にしている?!
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2024-02-25
●教育実習がすべてを駄目にしている?!【#教育実習】【#日常授業改善】【#学級づくり】○初任者が「授業、授業」と考える理由※「味噌汁・ご飯」授業研究会のFacebook投稿ページに記したものと同内容です。「教育実習をさせてほしいのですが・・・」私が、管理職をしていた頃、しばしばこのような問い合わせを大学生から受けた。「本校の卒業生ですか?」そう、問い返すことが多かった。現場に教育実習生を受け入れる余裕がなくなった今、自校の卒業生を優先して受け入れているところが多いのではないかと思う。私の認識が間違っていなければ、教育実習生は、「ある程度学級ができ上がったところに」その実習の機会を与えられる。私は、そこに大きな問題が潜んでいることに、今まであまり気付かなかった。「実は、教育実習がすべてを駄目にしているのではないか?!」そのようなことを今は考え始めているのである。
企画・思考
たぬき3
2024-02-25T05:37:08+09:00
●教育実習がすべてを駄目にしている?!
【#教育実習】【#日常授業改善】【#学級づくり】
○初任者が「授業、授業」と考える理由
※「味噌汁・ご飯」授業研究会のFacebook投稿ページに記したものと同内容です。
「教育実習をさせてほしいのですが・・・」
私が、管理職をしていた頃、しばしばこのような問い合わせを大学生から受けた。
「本校の卒業生ですか?」
そう、問い返すことが多かった。現場に教育実習生を受け入れる余裕がなくなった今、自校の卒業生を優先して受け入れているところが多いのではないかと思う。
私の認識が間違っていなければ、教育実習生は、「ある程度学級ができ上がったところに」その実習の機会を与えられる。
私は、そこに大きな問題が潜んでいることに、今まであまり気付かなかった。「実は、教育実習がすべてを駄目にしているのではないか?!」そのようなことを今は考え始めているのである。
私自身は、3つの学校で教育実習を経験させていただいた。付属小学校での実習。付属中学校での実習。そして、世田谷区内の小学校での実習だ。いずれの実習でも、とにかく指導案を毎日のように書くことを求められた。後は、子供と遊ぶなど関係づくりの基礎を学ばせていただいた。
考えてみれば、実習生は幸せだ。
“学級がある程度できあがったところに”実習生として入るからだ。
最も、最初担任が苦労する「4月からの学級づくり」を経験しないし、できないのである。実習生が入っても、ある程度授業ができるように、学級環境をそのクラスの先生が整えておいてくれるわけだ。
教育実習生は、実習での「よい経験」「よい記憶」をもって教職を志すのだと思う。
しかし、初任者として赴任したとたん、「一からの学級づくり」を4月に求められるのである。
初任者の多くは、実習時の「よい経験」「よい記憶」を引きずって(敢えてそのように書く)赴任する。
勢い、「早く授業をしなければ」と思うわけだ。初任者指導の先生が週に一度くらいマンツーマンで対応してくださるのだろうが、その指導が入る前に、いわゆる黄金の三日間を迎えなければならないのである。一番大切だといわれるこの時期を“その経験なし”で迎えなければならないのである。
最近、よく耳にするようになったのが、4月に初任者が学校を去って行くという話だ。赴任して数日で辞めてしまったということさえ耳にするようになった。「人がいない。人が足りない」という現場に折角来てくれたフレッシュな先生である。その先生が赴任して間もなく辞めて行くのである。あるいは、最初の一年間で大きなダメージを受け、大変なところへと追い込まれるということも聞く。
その根本的な理由が、ここに述べたことにあるとしたら、何とかしなければと思う。
ご批判を覚悟で、敢えて書いてみた。
皆さんのお考えを是非とも伺いたい。シェアしていただければ幸いである。
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単元を見通した指導計画は誰でもできる
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2024-02-24
単元を見通した指導計画は誰でもできる【#誰でもできる】【#学級づくり】【#初任者】様々な初任者研修の場面で「単元を見通した指導ができるようになれ」ということが言われる。その大切さについては、私も同感である。しかし、どうすれば単元を見通した指導ができるようになるのかということは、あまり語られることはないように感じている。教材研究の時間が勤務時間内でほとんどとれない現状では、自力で一から指導計画を作成することは無理なのだと思う。
企画・思考
たぬき3
2024-02-24T06:30:59+09:00
単元を見通した指導計画は誰でもできる
【#誰でもできる】【#学級づくり】【#初任者】
様々な初任者研修の場面で「単元を見通した指導ができるようになれ」ということが言われる。
その大切さについては、私も同感である。
しかし、どうすれば単元を見通した指導ができるようになるのかということは、
あまり語られることはないように感じている。
教材研究の時間が勤務時間内でほとんどとれない現状では、
自力で一から指導計画を作成することは無理なのだと思う。
では、どうすればよいか。
それは「教科書通りに授業する」ことだ。
教科書は、もともと単元を基本として構成されている。
だから、教科書通りに授業すれば、単元を見通すことが可能になる。
様々な研修でも「教科書通りに授業しなさい」と言ってくれれば、
初任者はもっと楽になるのにと私は強く思う。
では、なぜそう言えないのか。
それは、これまで「教科書を(そのまま)授業する」ということが否定されて
来たからだと私は推察する。
「教科書で」授業する。つまり、教科書どおりにそのまま授業するのではなく、
教科書を使って自分なりの授業を工夫することが良しとされてきたのではなかろうかと
私は経験的に感じる。
問題は、ずばりここにあるのだと私は思う。教科書のシステムを理解しないで、
教科書を単なる一つの素材として捉えて、そこに自分なりの工夫や味付けをして授業する
ということがあまりに多かったのではないかと思うのである。
その証拠に、多くの教育実習生から話を直接聞いて来たが、その半数以上の人が、
「大学では教科書通りには教えるな」と習ってきたと語っていた。
もう少し多くの人数を対象にできればアンケートをとってみたいと感じたほどだ。
いずれにしても、初任の先生等、経験の浅い方には、まず教科書をじっくりと読み、
教科書のシステムや構成、カタチをしっかりと理解することを勧めるようになった。
結果、教科書を自力でほぼ読み切れるようになった初任者は、市内の学力調査でも、
経験者をこえる成績を残せるようになったのである。
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「オンライン教師1年目の教室2024」へ是非ご参加ください
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2024-02-11
「オンライン教師1年目の教室2024」へ是非ご参加ください【#誰でもできる】【#学級づくり】【#初任者】より困難さが増した現場で、教師になろうとされている皆さんと共に学ぶために、今年度もオンライン教室を開きます(3年目になります)。初任者向けの講座ですが、昨年度も経験者の方が「学び直したい」ということで多数ご参加くださいました。また、初任者指導の先生にもご参加いただきました。今年も宜しくお願いします。
企画・思考
たぬき3
2024-02-11T08:06:23+09:00
「オンライン教師1年目の教室2024」へ是非ご参加ください
【#誰でもできる】【#学級づくり】【#初任者】
より困難さが増した現場で、教師になろうとされている皆さんと共に学ぶために、
今年度もオンライン教室を開きます (3年目になります)。
初任者向けの講座ですが、昨年度も経験者の方が「学び直したい」ということで
多数ご参加くださいました。
また、初任者指導の先生にもご参加いただきました。今年も宜しくお願いします。
さて、3年目に入り、一層初任者が最初に
・心得ておくべきこと
・準備しておくべきこと
・身につけるべきこと
などが明確になって来ました。
明確になって来た理由の筆頭に上げられるのが、経験の浅い先生方からの
フィードバック(情報)です。
そして、それを元に実践を通して検証を進めてくれた先生方のおかげです。
本講座は、講師による講義が中心ですが、最後に、講師と直接やりとりすることも
可能です。
「共に学びあえる」しなやかな講座を目指しています。
何より、初任者が「安心して日々の実践に向かうことができる」ことを大切にします。
どうぞ、ご参加ください。
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★★落ちこぼれ問題はどこへ行った?3★★
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2024-02-04
★★落ちこぼれ問題はどこへ行った?3★★「落ちこぼれ」問題に関連する最新論文が発表された。「日本の科学者2024、1月号」の中の、次の論文である。・伊田勝憲「発達障害等の排除と包摂をめぐる課題ー『通常の学級』におけっる学習面での困難に着目して」伊田氏は、論文中で、「落ちこぼれ」という言葉は使用されていない。論文の最初には次のように記されている。「通常の学級において特別な教育的支援を必要とする児童生徒はこの10年で増加したが、特に『学習面で著しい困難』が見られる割合は学年進行とともに『減少』する。文部科学省が実施した複数の調査結果を見比べると、特別支援学級への転籍及び不登校に至るケースが少なくないと推測される。発達障害の子どもたちが通常の学級から事実上『排除』され、教室内の多様性が損なわれつつあることが危惧される。」
企画・思考
たぬき3
2024-02-04T05:30:18+09:00
★★落ちこぼれ問題はどこへ行った?3★★
「落ちこぼれ」問題に関連する最新論文が発表された。
「日本の科学者2024、1月号」の中の、次の論文である。
・伊田勝憲「発達障害等の排除と包摂をめぐる課題ー『通常の学級』におけっる学習面での困難に着目して」
伊田氏は、論文中で、「落ちこぼれ」という言葉は使用されていない。論文の最初には次のように
記されている。
「通常の学級において特別な教育的支援を必要とする児童生徒はこの10年で増加したが、特に『学習面で著しい困難』が見られる割合は学年進行とともに『減少』する。文部科学省が実施した複数の調査結果を見比べると、特別支援学級への転籍及び不登校に至るケースが少なくないと推測される。発達障害の子どもたちが通常の学級から事実上『排除』され、教室内の多様性が損なわれつつあることが危惧される。」
「学習面で著しい困難」を抱える児童は、巷間いわれる「落ちこぼれ」とほぼ等しいというのが、私の認識である。
伊田氏は、論文のまとめに次のように記されている。
「・・・『通常の学級』における特に学習面での困難が学年とともに減少して見えるのは、設問設定内容の性質による影響というよりは、特別支援学級等への転籍や不登校に至るケースが少なからず存在し、厳しい表現をすれば、学年進行とともに『排除』が進行しているためと考えられる面があるといえそうである」
現場に40年いる私としては、伊田氏のご指摘を肌で感じることが多い。
一体何が変わったのだろうか。
一つは、教師を取り巻く環境の変化である。放課後に子供を残して勉強を教えるということが難しくなったということは多くの教師が認めるところであろう。
二つ目は、教師の世代交代である。私が就職した頃には暗黙の了解として「自分のクラスからできるだけ落ちこぼれはだしなくない。出さないぞ」という気概のようなものがあったのだと思う。その気概のようなものが伝承されずに来たのではないかということだ。
三つ目は、日常授業において教師があたり前のようにしていることが、変えられずにいるため、結果的に「落ちこぼれ」を生み出しているということだ。
四つ目は、「発達障害もどき」の問題だ。成田奈緒子氏が「『発達障害』と間違われる子どもたち」で指摘されたことである。
次回以降は、少しずつこれらの変化について考えて行きたい。
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★★落ちこぼれ問題はどこへ行った?2★★
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2024-01-28
★★落ちこぼれ問題はどこへ行った?2★★「落ちこぼれ」については、「吹きこぼれ問題」も含めて、苫野一徳氏が「『学校』をつくり直す」(河出新書)第一章で次のように述べている。「一つの象徴的な例が、嫌な言葉ですが、いわゆる落ちこぼれ・吹きこぼれ問題です。多くの人は、『落ちこぼれ』は、その子の理解力が低いから生まれるものだと思っているのではないかと思います。でも、実は、これはシステムによって構造的に引き起こされている側面が非常に大きいのです。考えてみれば当然のことです。みんなで同じことを、同じペースで勉強して入れば、一度つまずくと、そのまま取り残されるということがどうしても起こってしまうからです。・・・(中略)・・・次章でも論じるように、雑務の増大、子どもたちの変化の多様化、特別な支援を要する子どもたちの増大、保護者の要求の増大、部活動の仕事の増大などに追われて、日本の先生たちは、総体的に見て、かつてのようなきめ細かな『個に応じた支援』ができなくなってしまっているのです。」
企画・思考
たぬき3
2024-01-31T06:30:13+09:00
★★落ちこぼれ問題はどこへ行った?2★★
「落ちこぼれ」については、「吹きこぼれ問題」も含めて、苫野一徳氏が「『学校』をつくり直す」(河出新書)第一章で次のように述べている。
「一つの象徴的な例が、嫌な言葉ですが、いわゆる落ちこぼれ・吹きこぼれ問題です。多くの人は、『落ちこぼれ』は、その子の理解力が低いから生まれるものだと思っているのではないかと思います。でも、実は、これはシステムによって構造的に引き起こされている側面が非常に大きいのです。考えてみれば当然のことです。みんなで同じことを、同じペースで勉強して入れば、一度つまずくと、そのまま取り残されるということがどうしても起こってしまうからです。・・・(中略)・・・次章でも論じるように、雑務の増大、子どもたちの変化の多様化、特別な支援を要する子どもたちの増大、保護者の要求の増大、部活動の仕事の増大などに追われて、日本の先生たちは、総体的に見て、かつてのようなきめ細かな『個に応じた支援』ができなくなってしまっているのです。」
苫野氏は、「落ちこぼれ問題」について、みんなで同じことを、同じペースで勉強するというシステムによって構造的に引き起こされたという側面が大きい、と述べられている。
また、子供を含めた教師を取り巻く様々な環境が、大きく変化したために、教師が変化に対応しきれなくなり、個に応じた支援ができなくなったのだと言われている。
私はそう読みとった。
半分くらいそれに同意しながらも、私はまだ、それだけではないと感じるところがある。
それは、情報化社会に生きる「教師」の側の問題である。
そこには、様々な問題が含まれている。例えば、
・教師が「何を(使って)、どのように」、教育技術を学ぶか。
・爆発的に増えた教育情報から必要な教育技術をどのように選択するか。
・そもそも手本とすべき教育技術をどのように身につけるか。
というようなことである。
情報が少ない時代は、先輩から情報を得ることが多かったかもしれない。
しかし、ICTがそれを一気に打ち砕いたと見ることはできないだろうか。
情報の洪水の中で、自分の学級づくりの力、授業づくりの力をどう学ぶかが見えにくく
なっているのではないか。私はそう思うのである。
そうは言っても、教師は毎日授業をしなくてはならない。
何らかの授業を日々しているのである。
一体何を頼りに、何を見て授業をつくり、実際にしているのであろうか。
落ちこぼれ問題は、そこに大きく関わっているのだと、私は考えている。
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本年も宜しくお願いします ★★落ちこぼれ問題はどこへ行った?1★★
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2024-01-21
★★落ちこぼれ問題はどこへ行った?1★★少し遅くなりましたが、本年も宜しくお願いします。気がつかれたかもしれませんが、ブログ名を若干変えました。「ルーディメント」を「ルーディメンツ」にです。これは、ドラム用語の「ルーディメンツ」と検索された際に混同されないようにということでそうしてきたのですが、やはり一般には「ルーディメンツ」と使われることが多いので、それに合わせました。さて、早速だが、小学校現場に40年以上いて最近よく思うことがある。それは、「落ちこぼれ」「落ちこぼし」「吹きこぼれ」といった言葉を先生が使わなくなったということだ。使わなくなったのではなく、もはやこれらの言葉を知らない世代の先生ばかりになったのかもしれない。
企画・思考
たぬき3
2024-01-21T06:36:12+09:00
★★落ちこぼれ問題はどこへ行った?1★★
少し遅くなりましたが、本年も宜しくお願いします。
気がつかれたかもしれませんが、ブログ名を若干変えました。
「ルーディメント」を「ルーディメンツ」にです。
これは、ドラム用語の「ルーディメンツ」と検索された際に混同されないようにということでそうしてきたのですが、やはり一般には「ルーディメンツ」と使われることが多いので、それに合わせました。
さて、早速だが、小学校現場に40年以上いて最近よく思うことがある。
それは、「落ちこぼれ」「落ちこぼし」「吹きこぼれ」といった言葉を先生が使わなくなったということだ。
使わなくなったのではなく、もはやこれらの言葉を知らない世代の先生ばかりになったのかもしれない。
・・・現場は、この40年で大きく変わったのだ。
念のため、「落ちこぼれ」問題とは何かを再度確かめておきたいと思う。
ウェブサイト「日本俗語辞典」によれば、
「落ちこぼれとは、学校の授業についていけない学生のこと。
落ちこぼれとは、組織・集団についていけない人のこと。」だという。
さらに解説には次のようにあった。
「落ちこぼれとは不登校生や引きこもりなど不良学生を指す言葉として、週刊誌などメディアが使った言葉である。1970年代から使われた言葉で、特にツッパリブームといわれた1970年代後半に広く普及。同時に、不良学生であるか否かに関係なく、授業についていけない生徒という意味合いで使われるようになる。また、学生だけでなく、社会人にも普及し、組織や集団についていけない人、成績の悪い社員を指して使われるようになる。」
「社会人に普及し」とあるが、最近は世間一般でもあまり耳にしない言葉になったのではないだろうか。
では、「落ちこぼれ問題」はその後解決したのであろうか。
しばらく、これについて考えてみようと思う。
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2023年の終わりに ★教員不足の問題は新たな局面を迎えたか
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2022-06-18
教員不足の問題は新たな局面を迎えたか教員不足の問題は新たな局面を迎えたかもしれない。これが私の認識である。2022年度末、知り合いや知り合い等の情報から、多くの教員がやめたことを知った。これまでと大きく異なるのは、病気等の理由からではなく、現場でばりばり働いておられた方がやめられたということであった。2023年度に入って、現場の状況はさらに厳しくなった。学校にもよるのだろうが、副校長や教頭が担任を持つようになったという話が次々に飛び込んで来た。
企画・思考
たぬき3
2023-12-31T09:27:57+09:00
教員不足の問題は新たな局面を迎えたか
教員不足の問題は新たな局面を迎えたかもしれない。
これが私の認識である。
2022年度末、知り合いや知り合い等の情報から、多くの教員がやめたことを知った。
これまでと大きく異なるのは、病気等の理由からではなく、現場でばりばり働いておられた方がやめられたということであった。
2023年度に入って、現場の状況はさらに厳しくなった。
学校にもよるのだろうが、副校長や教頭が担任を持つようになったという話が次々に飛び込んで来た。
心を病んで療養休暇をとらざるを得なくなったという話もよく耳にするし、
この12月には、「精神疾患で休職の教員、過去最多6500人 文科省の22年度調査」という記事が新聞で報じられもした。
教員不足の問題は新たな局面を迎えたかのように実感している。
問題は、このような困難な状況をどのようにして乗り越えるかということだ。
思い出すのが、森信三さんの「再建の三大原理」である。
「森信三一日一語」(致知出版、平成20年)には次のように記されている。
「八月一日
一、時を守り
ニ、場を浄め
三、礼を正す
これ現実世界における再建の三大原理にして、いかなる時・処にもあてはまるべし。」
大切なことは、これらをどのように捉えるかということだと私は思う。
「実用日本語表現辞典」の「原理」についての記述の最後には次のように書かれている。
「・・・これらは、特定の状況下で最も効果的な行動を導き出すための基準となる。」
つまり、効果的な行動をどう原理から導き出すかが重要なのだと思う。
例えば、
「一、時を守り」を「時間的なライフワークバランスを大切にする」と捉えることもできるだろう。
「ニ、場を浄め」を「学校の改善可能な環境整備」と捉えることもできるだろう。
「三、礼を正す」を「まず返事や挨拶から」と捉えることもできるだろう。
さらに考え続けてみる。
今年、私自身がしてきた行動を静かにふり返りながら、一年間を締めくくりたいと思う。
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勘違いしていました。「奇跡の人」
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2023-10-28
勘違いしていました。「奇跡の人」「奇跡の人」と言えば、三重苦を抱えながらも生涯多才な活躍をされた、ヘレン・ケラーの物語を連想していました。しかし、ヘレン・ケラーの自伝は、「わたしの生涯(The Story of My Life)」が原題のようで、自ら「奇跡の人」と名乗ることには、違和感を感じていました。そこで、Wikipediaで調べたところ次のように出ていました。「『奇跡の人』(きせきのひと、The Miracle Worker)アニー・サリバンを描いた、ウィリアム・ギブソン(同名のSF作家とは別人)による戯曲。アン・バンクロフト(タイトル・ロールであるアニー・サリバン)とパティ・デューク(ヘレン・ケラー)が演じて1959年に初演された。この『奇跡の人』はアン・サリヴァンの記録をもとに書かれたものであるが、有名な井戸水を手にかけて「ウォーター」という言葉を理解し発した、というエピソードはこの戯曲における創作である(実際にはサリバンの著作では、ケラーはこの時"water"と綴っている。ケラーが発声できるようになるのはもっと後のことである)。」
未分類
たぬき3
2023-11-26T04:35:54+09:00
勘違いしていました。「奇跡の人」
「奇跡の人」と言えば、三重苦を抱えながらも生涯多才な活躍をされた、ヘレン・ケラーの物語を連想していました。
しかし、ヘレン・ケラーの自伝は、「わたしの生涯(The Story of My Life)」が原題のようで、自ら「奇跡の人」と名乗ることには、違和感を感じていました。
そこで、Wikipediaで調べたところ次のように出ていました。
「『奇跡の人』(きせきのひと、The Miracle Worker)アニー・サリバンを描いた、ウィリアム・ギブソン(同名のSF作家とは別人)による戯曲。アン・バンクロフト(タイトル・ロールであるアニー・サリバン)とパティ・デューク(ヘレン・ケラー)が演じて1959年に初演された。
この『奇跡の人』はアン・サリヴァンの記録をもとに書かれたものであるが、有名な井戸水を手にかけて「ウォーター」という言葉を理解し発した、というエピソードはこの戯曲における創作である(実際にはサリバンの著作では、ケラーはこの時"water"と綴っている。ケラーが発声できるようになるのはもっと後のことである)。」
そもそも、サリバン先生を描いた戯曲だったようです。
邦題に「奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝」なる本も出版されていることから、
私自身が勝手に奇跡の人=ヘレン・ケラーと思い込んでいたようです。
もっとも、ヘレン・ケラーを教育によって立派な人物に育てたサリバン先生が「奇跡の人」であるのと同時に、育てられて三重苦がありながら立派に成長したヘレン・ケラーも「奇跡の人」だと言えるのかもしれません。
ともに「奇跡の人」なのかもしれない。そう思い直しました。
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改めて「メモ(memo)」について考える
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2023-10-09
改めて「メモ(memo)」について考える改めて「メモ(memo)」について考えている。コロナ禍を経て、自分の記憶のもろさを再認識したからだ。それは、行動記録をつけていたことによる。いつ、何をしたのかを具体的に記すのであるが、ついつい忘れてしまうと手に負えなくなった。「昨日、どこに買い物に行ったっけ」妻と車で数軒のスーパー等を回っただけで、もう思い出せないことが多かった。数日前のことになるとさらに怪しくなった。妻と一緒に回ったので、聞いてみると、「・・・どこだったっけ。確か・・・」と、私とあまり変わらない様相。そこで、「やはりメモが大切だよね」と思い、それについて少し調べてみることにした。
未分類
たぬき3
2023-10-09T08:54:55+09:00
改めて「メモ(memo)」について考える
改めて「メモ(memo)」について考えている。
コロナ禍を経て、自分の記憶のもろさを再認識したからだ。
それは、行動記録をつけていたことによる。いつ、何をしたのかを具体的に記すのであるが、ついつい忘れてしまうと手に負えなくなった。
「昨日、どこに買い物に行ったっけ」
妻と車で数軒のスーパー等を回っただけで、もう思い出せないことが多かった。数日前のことになるとさらに怪しくなった。妻と一緒に回ったので、聞いてみると、
「・・・どこだったっけ。確か・・・」
と、私とあまり変わらない様相。
そこで、「やはりメモが大切だよね」と思い、それについて少し調べてみることにした。
よくお世話になるウェブサイト「山下太郎のラテン語入門」によれば、
「メモはラテン語のmemorandumの略語です。memorandumは動詞memorō,-āre(思い出させる)の動形容詞、中性・単数・主格で、『思い出させられるべきもの、こと』が直訳です。すなわち、『思い出すべきもの、こと』、それがメモです。」
とあった。
一方、日本の辞書は例えば次のような捉え方をしている。
「[名](スル)忘れないように要点を書き留めること。また、書き留めたもの。覚え書き。『会議の—をとる』『談話を—する』『—用紙』」(デジタル大辞泉)
のようなものもあれば、
「『memo』は、日本語で『メモ』を意味する英語の単語である。一般的には、自分自身や他人に向けて情報を記録・伝達するための短い文章やノートを指す。また、ビジネスの場では、公式な報告書や通知書の代わりに用いられることもある。例えば、会議の議事録や、重要な決定事項を社内のメンバーに伝えるための文書などがこれに該当する。」(実用日本語表現辞典)
のようなものもある。
いずれにしても、忘れないための覚え書き、記録・伝達のための文章等を指すのに対して、本来のラテン語には「思い出すべきもの、こと」という少々異なるニュアンスがあるように思った。
つまり、人間はもともと忘れっぽいものだから、忘れないようにメモしようという消極的、予防的な意味に対して、本来のmemorandumには「思い出すべき重要なものがあるよね」という能動的・啓発的な姿勢を私は感じるのである。
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意識の仮想世界仮説
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2023-05-13
意識の仮想世界仮説「ロボマインド・プロジェクト」をご存知だろうか。田方篤志さんが率いる壮大なプロジェクトだ。そのウェブサイトにその概要がある。「ロボマインド・プロジェクトとは、『ロボットの心』を作るプロジェクトです。『ロボットの心』とは、汎用人工知能(AGI:artificial general intelligence)のことでもあります。」つまり、コンピュータを使って意識をつくり出し人の心がわかる汎用人工知能を実現しようということのようです。そもそもコンピュータを使って意識をつくり出すことなど可能なのでしょうか。興味の尽きないところだ。
企画・思考
たぬき3
2023-09-07T06:00:22+09:00
意識の仮想世界仮説
「ロボマインド・プロジェクト」 をご存知だろうか。
田方篤志さんが率いる壮大なプロジェクトだ。
そのウェブサイトにその概要がある。
「ロボマインド・プロジェクトとは、『ロボットの心』を作るプロジェクトです。
『ロボットの心』とは、汎用人工知能(AGI:artificial general intelligence)のことでもあります。」
つまり、コンピュータを使って意識をつくり出し人の心がわかる汎用人工知能を実現しようということのようです。
そもそもコンピュータを使って意識をつくり出すことなど可能なのでしょうか。
興味の尽きないところだ。
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小学校、ベテラン教師の転職が加速している!? 2
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2023-07-29
小学校、ベテラン教師の転職が加速している!? 2Yahooニュースにつぎの記事が掲載された。「公立の小中高校 『精神疾患』理由の離職教員数が過去最多 文科省調査 7/28(金) 17:00配信」それによると、文科省が2022年度に行った調査の中間報告としてつぎのようなことがわかったという。「・・・2021年度の間で、離職した理由が『精神疾患』と回答した教員が公立小学校で571人、中学校で277人、高校で105人となり、新たに回答項目として追加された2010年度の調査以降、いずれも過去最多になりました。 また『転職のため』と回答した教員も公立小学校で2083人、中学校で1277人、高校で640人で、調査が始まった1977年度以降、過去最多です。」精神疾患による離職者の増加についてももちろん気になるが、前回述べたように、転職についての新たな流れについても、注視する必要があるように強く感じる。
企画・思考
たぬき3
2023-07-29T04:03:13+09:00
小学校、ベテラン教師の転職が加速している!? 2
Yahooニュースにつぎの記事が掲載された。
「公立の小中高校 『精神疾患』理由の離職教員数が過去最多 文科省調査 7/28(金) 17:00配信」
それによると、文科省が2022年度に行った調査の中間報告としてつぎのようなことがわかったという。
「・・・2021年度の間で、離職した理由が『精神疾患』と回答した教員が公立小学校で571人、中学校で277人、高校で105人となり、新たに回答項目として追加された2010年度の調査以降、いずれも過去最多になりました。
また『転職のため』と回答した教員も公立小学校で2083人、中学校で1277人、高校で640人で、調査が始まった1977年度以降、過去最多です。」
精神疾患による離職者の増加についてももちろん気になるが、
前回述べたように、転職についての新たな流れについても、注視する必要があるように強く感じる。
要は、現場の状況を見極めて、
「今が潮時」「転職するなら今」と考える教員が増えたということではないだろうか。
この記事には驚くことに、公開後半日足らずで1500件ほどのコメントが寄せられている。
「・・・転職して良かった・・・」という経験者の重いコメント。
「・・・15年やってきましたが、そろそろ限界を感じています。」という現役からの声。
様々な意見が寄せられる中に、つぎのようなものがあった。
「・・・公教育は急激に危機的な状況になってるよ。」
私の認識は、全く異なる。
すでに、10年以上前から現場は崩壊への道をたどって来た。
少しずつ少しずつ崩壊が浸透して来たのかもしれない。
「学級崩壊」という言葉が登場したのは、1990年代だと言われるし、
「モンスターペアレント」も2007年頃の向山洋一氏による命名だと言われる。
むしろ、現在は崩壊からどう「再建するか」を具体的に考え実践する時期だと私は強く思う。
現場人が具体的に今の状況をどう捉えて、具体的にどうして行くのかということだと思う。
森信三先生の「再建の三大原理」は、再建のためのものなのだと感じる。
「八月一日
一、時を守り
ニ、場を浄め
三、礼を正す
これ現実界における三大原理して、いかなる時・処にも当てはまるべし。」
(「森信三一日一語」致知出版社より)
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小学校、ベテラン教師の転職が加速している!?
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2023-07-02
小学校、ベテラン教師の転職が加速している!?あまり強調したくはないが、学校現場がいわゆるブラックと言われるよう現状が続いている。小学校の現場も例外ではないと思う。それにも増して、最近よく耳にするようになったのが、ある程度経験年数を重ねた教員の転職である。
企画・思考
たぬき3
2023-07-02T20:27:11+09:00
小学校、ベテラン教師の転職が加速している!?
あまり強調したくはないが、学校現場がいわゆるブラックと言われるよう現状が続いている。
小学校の現場も例外ではないと思う。
それにも増して、最近よく耳にするようになったのが、ある程度経験年数を重ねた教員の転職である。
2022年度末にも、複数の友人教員から、経験15年以上の知り合いが転職する決意をしたという情報を得た。2023年度に入っても、転職を考えているという話を頻繁に耳にするようになった。
数年勤めて、「やはり教員という仕事が自分に合わないのでやめます」というのではない。学校で、学年主任や教務主任等を経験した人がやめ始めているのだ。或いは転職を真剣に考えているのである。
現場にいて40年が過ぎた。が、このようなことを頻繁に耳にするようになったのは初めてである。
もはや、小手先の働き方改革では、貴重な人材の流出を止めることはできないだろうというのが、私の予想である。
それが当たらないことを祈るばかりである。
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「オンライン教師1年目の教室2023」へのご支援ありがとうございます
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2022-02-02
「オンライン教師1年目の教室2023」へのご支援ありがとうございます今年度も教室を開いています。初任者向けの講座ですが、今年度も経験者が「学び直したい」ということで多数ご参加くださっています。この間、多くの方に参加募集情報をシェアしていただきました。この場を借りて心から感謝申しあげます。お申し込みいただいた方とは、当日ともに学ぶことを楽しみにしております。まだ、お近くに来年度初めて小学校の先生になる予定の方がおられましたら、お声がけいただければ幸いです。次回は、4月15日に実施予定です。お申し込みはここから
企画・思考
たぬき3
2023-04-05T06:04:32+09:00
「オンライン教師1年目の教室2023」へのご支援ありがとうございます
今年度も教室を開いています。
初任者向けの講座ですが、今年度も経験者が「学び直したい」ということで多数ご参加くださっています。
この間、多くの方に参加募集情報をシェアしていただきました。
この場を借りて心から感謝申しあげます。
お申し込みいただいた方とは、当日ともに学ぶことを楽しみにしております。
まだ、お近くに来年度初めて小学校の先生になる予定の方がおられましたら、
お声がけいただければ幸いです。
次回は、4月15日に実施予定です。
お申し込みはここから
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ジル・ボルト・テイラー「WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン)」に学ぶ
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2023-03-10
ジル・ボルト・テイラー「WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン)」に学ぶ ロボマインド・プロジェクト代表の田方さんに教えてもらった本である。ジルの類いまれな経歴については、ネット検索をしていただければと思う。私が、もっとも心を引かれた記述は次の箇所だった。「人生でわかりきっているのは『変化する』こと。私たちの右脳は、オープンで、広々としていて、柔軟性があり、適応力があり、回復力があるので、変化に対応できるのです。今あるものを、今あるうちに楽しむ。今あることに感謝し、やがてそれを手放し、次に来るものを歓迎する。それが、私たちが選ぶべき生き方です。私たちの喜びや回復を邪魔するのは、左脳の配線です。でも、左脳の<キャラ2>の役割は、生き方指南ではなく、もともと警告装置だったのです。」この部分はとても重要だと感じたので、原著にもあたってみた。つぎのように書かれていた。
企画・思考
たぬき3
2023-03-11T07:07:07+09:00
ジル・ボルト・テイラー「WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン)」に学ぶ
ロボマインド・プロジェクト代表の田方さんに教えてもらった本である。
ジルの類いまれな経歴については、ネット検索をしていただければと思う。
私が、もっとも心を引かれた記述は次の箇所だった。
「人生でわかりきっているのは『変化する』こと。
私たちの右脳は、オープンで、広々としていて、柔軟性があり、適応力があり、回復力があるので、変化に対応できるのです。
今あるものを、今あるうちに楽しむ。今あることに感謝し、やがてそれを手放し、次に来るものを歓迎する。それが、私たちが選ぶべき生き方です。
私たちの喜びや回復を邪魔するのは、左脳の配線です。でも、
左脳の<キャラ2>の役割は、生き方指南ではなく、もともと警告装置だったのです。」
この部分はとても重要だと感じたので、原著にもあたってみた。
つぎのように書かれていた。
「The most predictable constant in life is change, and we are wired in our right brain to meet change by being open, expansive, flexible, adaptable, and resilient. Learning to enjoy what we have while we have it, releasing it with gratitude that we had it at all, and then choosing to celebrate what comes next is one way we might choose to live. The only thing standing in the way of our expressing our joy and resilience is the wiring in our left brain that says, “No, I don’t want that because I do not feel safe.” Thank goodness we have this automatic knee-jerk response to push danger away, but our Character 2 is designed to be a warning, not a way of life.(Bolte Taylor, Jill. Whole Brain Living (pp.260-261). Hay House. Kindle 版. )」
「生き方指南ではなく、もともと警告装置だったのです」
の意味が原著にあたってもよくわからなかった。
そんなとき、東洋経済ONLINEに翻訳者竹内薫さんがジル本人にインタビューした記事が掲載された。
そこには、次のように書かれていた(一部引用)。
「・・・この感じる脳は、自分にとって危険だったことや、不安だったことを記憶することに長けています。そうしてこの先に起こりそうな危険を察知し、身の安全を守ろうとするのです。重要な役割ですが、行きすぎると何事にも不安が先行することになります。」
「この感じる脳」とは、ジルがキャラ2と読んでいる左脳の感情を司る部分を指す。
つまり、この部分は、危険や不安を記憶することに長けているため、本来は危険を察知し身の安全をまもろうとするためにあるということのようだ。これが警告装置=a warningなのだと思う。
ところが、ここに重きを置き過ぎると「何事にも不安が先行」することになるということだ。
養老孟司さんは、「養老孟司の大言論III 大切なことは言葉にならない(新潮文庫)」で次のように述べている。
「・・・言葉がなければ、過去は伝えられないが、同時にすべての情報は過去なのである。情報を『新しい』ものと見なす常識も、そろそろ棄てるべきではないか。インターネットに示されている情報は、すべて『済んでしまったこと』にしか過ぎない。すべてのニュースもまた同じである。若者たちが一日数時間、インターネットを見ているということは、若者は近過去に埋没する時代になったということである。人類がもっぱら過去を見て暮らす世界というのは、異常ではないのか。・・・」
同感である。ジルが述べた「何事にも不安が先行」する原因は、情報にその原因があるように思う。しかもニュースという過去情報にである。過去をふり返ることは重要だと思う。が、それは自分の経験としての過去をふり返ることが私の場合中心になる。ただただネガティブ情報としての過去情報にとらわれることは、不安が不安を呼ぶループを形成しかねないと私は思う。
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コロナ禍を経験して
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2023-02-20
コロナ禍の終息を願っている。仕事の関係で、この一年余り、自らの行動記録をつけるようになった。その経験を通してつくづく思うことは、「(自分は)少し前のことをすぐに忘れてしまうのだなあ」ということだ。私の場合、数日前どこに・いつ行ったのかということをなかなか思い出せなくなっている。仕事以外にしている外での行動はほとんどが、買い物や通院だということにも気付いた。そのようなことだから、ことが過ぎてしまうと忘れてしまうのかもしれない。コロナ禍を経験して大切だと感じているのは、ときどきは自分がしたことを想い出すということだ。「今」を大切に生きたいと思わなくても、「今」に生きているのかもしれないと感じている。その行動記録をつけることも、1月で終わった。終わったこと自体も忘れないようにしようと思う。
企画・思考
たぬき3
2023-02-20T04:43:21+09:00
仕事の関係で、この一年余り、自らの行動記録をつけるようになった。
その経験を通してつくづく思うことは、
「(自分は)少し前のことをすぐに忘れてしまうのだなあ」
ということだ。
私の場合、数日前どこに・いつ行ったのかということをなかなか思い出せなくなっている。
仕事以外にしている外での行動はほとんどが、買い物や通院だということにも気付いた。
そのようなことだから、ことが過ぎてしまうと忘れてしまうのかもしれない。
コロナ禍を経験して大切だと感じているのは、ときどきは自分がしたことを
想い出すということだ。
「今」を大切に生きたいと思わなくても、「今」に生きているのかもしれないと感じている。
その行動記録をつけることも、1月で終わった。
終わったこと自体も忘れないようにしようと思う。
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元日、ドライブに
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2023-01-06
元日、ドライブに出かけました。あまりに私の住む神奈川は朝の天気が良かったからです。明けましておめでとうございます。本年も細々と更新してまいります。どうぞ宜しくお願いします。ドライブに出かけた先は、箱根周辺。芦ノ湖スカイラインからみた富士山はひときわ美しかったです。心豊かな一年にしたいと願いました。
その他
たぬき3
2023-01-06T06:11:43+09:00
元日、ドライブに
出かけました。あまりに私の住む神奈川は朝の天気が良かったからです。
明けましておめでとうございます。
本年も細々と更新してまいります。
どうぞ宜しくお願いします。
ドライブに出かけた先は、箱根周辺。
芦ノ湖スカイラインからみた富士山はひときわ美しかったです。
心豊かな一年にしたいと願いました。
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板書計画よりも黒板の開放を
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2022-06-18-1
板書計画よりも黒板の開放を最近、うっとりすような美しい板書をする先生を多くみかけるようになった。研究授業では、特にそうである。板書計画が周到にされ、予め指導案に記されることも多い。しかし、私は「待てよ」と思う。そのような板書をする先生をよく見ていると、ほとんど黒板から離れないで指導をされている。子供に黒板を使って、計算させる。子供に黒板を使って説明させる。このようなことがほとんどないのである。
企画・思考
たぬき3
2022-11-30T04:31:07+09:00
板書計画よりも黒板の開放を
最近、うっとりすような美しい板書をする先生を多くみかけるようになった。
研究授業では、特にそうである。
板書計画が周到にされ、予め指導案に記されることも多い。
しかし、私は
「待てよ」
と思う。
そのような板書をする先生をよく見ていると、ほとんど黒板から離れないで
指導をされている。
子供に黒板を使って、計算させる。子供に黒板を使って説明させる。
このようなことがほとんどないのである。 黒板から離れないので、勢い説明することが多くなる。
予め計画したことをどうしても伝えたくなるようだ。
結果、先生が懇切丁寧に説明する「おしゃべり授業」に陥ってしまうことも多い。
また、教科書に書いてあることをただ写すだけのことも多い。
そのくせ子供には教科書を開かせない先生も多くみかける。
板書を予め計画し、授業の見通しを持つこと自体は、誤りとは言えないと私は思う。
しかし、授業が計画とは異なる事態に直面したら、柔軟に修正する手立てもまた持たなければならないのだと思う。
恐らく最も危険なことは、板書計画を意識するあまり、子供を見なくなってしまうということだと思う。最近、道路を横断する際もスマホを見続ける人を多く見かけるようになった。周りを見ないで横断していることに気づかないのは横断するその人だけだ。
これと同じことが、教室でも起こりかねない。スマホには板書計画が示されている。
・・・私の思い過ごしなら・・・と思う。
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音読をさせると成績が上がる?
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2022-11-10
音読をさせると成績が上がる?小学校現場限定の話である。小学校低学年のクラスで音読を徹底してみた。例えば、国語の授業では、1単位時間45分のうちおよそ三分の一、即ち15分以上を「音読」に宛てたのである。結果、どうなったか。
企画・思考
たぬき3
2022-11-10T04:26:43+09:00
音読をさせると成績が上がる?
小学校現場限定の話である。
小学校低学年のクラスで音読を徹底してみた。
例えば、国語の授業では、1単位時間45分のうちおよそ三分の一、
即ち15分以上を「音読」に宛てたのである。
結果、どうなったか。
みるみる、国語市販テストの成績が上がったのである。
それだけではない。全ての子供が、「国語の授業は楽しい」と言うようになったのである。
どれくらい成績が上がったかと言えば、2年生のクラスでは
テストの読み領域が、コンスタントに平均95点以上になった。
それも初任者のクラスである。
4年生のクラスでも試してもらったが、やはり平均95点をマークした。
これは一体どうしたことだ。
なぜだ。
少しずつ、その結果から考えるうちにいろいろなことが見えてきたように思う。
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通風になる
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2022-09-28
通風になるしばらくぶりの更新です。「不覚にも通風になってしまった」気づかぬうちに、左足首が腫れ、とにかく歩けないほど痛い。心当たりはあった。週末に玄関周りをDIY。その際に、土を掘ったり、石を運んだりと重い物を運んだ。「もしかして、足を捻ったのかも・・・」
その他
たぬき3
2022-09-28T04:44:10+09:00
通風になる
しばらくぶりの更新です。
「不覚にも通風になってしまった」
気づかぬうちに、左足首が腫れ、とにかく歩けないほど痛い。
心当たりはあった。
週末に玄関周りをDIY。
その際に、土を掘ったり、石を運んだりと重い物を運んだ。
「もしかして、足を捻ったのかも・・・」
だが、医師には
「・・・尿酸値高い」
と聞かれた。
「人間ドックではいつもボーダーぐらいです」
と私。
そういえば、作業後、久しぶりに大して水も飲まずに、美味しい日本酒をいただいたのを思い出した。
それが引き金になり、発作を引き起こしたようだ。
「血液検査しようかな」
「はい」
結果はやはり正常値を上回っていた。
痛み止めを処方してもらい帰宅した。
よく考えればあたり前のことなのだと思うが、
「尿酸値も常に一定ではなく、何かの要因で大きく変動することがあるのですよ」
のお言葉に納得。
10年以上前に一度だけ、膝に出たことがあった。
その時以降しばらく生活習慣や食事を見直し、発作がでなかったので、
やはり油断していたのだと思う。
今回も、薬になるべく頼ることなく、「習慣」を正すしかないと思った。
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発問、指示よりも大切なこと?
https://dousureba2.blog.ss-blog.jp/2022-05-13
発問、指示よりも大切なこと?発問、指示よりも大切なことがあるのではないか。そのようなことを考えている。それは、確認&フォローである。もちろん、発問や指示がなければ思考や行動につながらないわけだから、それらが大切ではないというわけではない。しかし、いくら指示を出しても、その指示による行動が完結しなければ、結局は指示が浸透しなかったことになるのである。例えば、「学校に来たら(準備後)すぐにランドセルをロッカーに入れなさい」と指示しても、始業時にまだ数名が収納できないという状況なら、指示は浸透していないとみるべきだろう。
企画・思考
たぬき3
2022-05-13T05:55:58+09:00
発問、指示よりも大切なこと?
発問、指示よりも大切なことがあるのではないか。
そのようなことを考えている。
それは、確認&フォロー である。
もちろん、発問や指示がなければ思考や行動につながらないわけだから、それらが大切ではないというわけではない。
しかし、いくら指示を出しても、その指示による行動が完結しなければ、結局は指示が浸透しなかったことになるのである。
例えば、「学校に来たら(準備後)すぐにランドセルをロッカーに入れなさい」と指示しても、始業時にまだ数名が収納できないという状況なら、指示は浸透していないとみるべきだろう。 つまりは、指示したらそれが浸透したかを「確認する」ことが必要になる。
最初は、教師が確認し、次第に子供自らが確認できるようになるまで見守る必要があるのだと私は思う。
それを可能にするのが、「フォロー」だ。
・きちんと収納できた子をほめる。
・できなかった子ができた時にほめる。
・互いに声をかけあっている時にほめる。
などほめる場面は教師の心がけ次第で多く見いだせると思う。
最後は、教師自身の気持ちを伝えることも忘れないようにしたいと私は思う。
「全員のランドセルがきれいにきちんと並んでいると気持ちがいいね」
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