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改めて「メモ(memo)」について考える

改めて「メモ(memo)」について考える

改めて「メモ(memo)」について考えている。
コロナ禍を経て、自分の記憶のもろさを再認識したからだ。
それは、行動記録をつけていたことによる。いつ、何をしたのかを具体的に記すのであるが、ついつい忘れてしまうと手に負えなくなった。
「昨日、どこに買い物に行ったっけ」
妻と車で数軒のスーパー等を回っただけで、もう思い出せないことが多かった。数日前のことになるとさらに怪しくなった。妻と一緒に回ったので、聞いてみると、
「・・・どこだったっけ。確か・・・」
と、私とあまり変わらない様相。
そこで、「やはりメモが大切だよね」と思い、それについて少し調べてみることにした。

よくお世話になるウェブサイト「山下太郎のラテン語入門」によれば、
「メモはラテン語のmemorandumの略語です。memorandumは動詞memorō,-āre(思い出させる)の動形容詞、中性・単数・主格で、『思い出させられるべきもの、こと』が直訳です。すなわち、『思い出すべきもの、こと』、それがメモです。」
とあった。

一方、日本の辞書は例えば次のような捉え方をしている。
「[名](スル)忘れないように要点を書き留めること。また、書き留めたもの。覚え書き。『会議の—をとる』『談話を—する』『—用紙』」(デジタル大辞泉)
のようなものもあれば、
「『memo』は、日本語で『メモ』を意味する英語の単語である。一般的には、自分自身や他人に向けて情報を記録・伝達するための短い文章やノートを指す。また、ビジネスの場では、公式な報告書や通知書の代わりに用いられることもある。例えば、会議の議事録や、重要な決定事項を社内のメンバーに伝えるための文書などがこれに該当する。」(実用日本語表現辞典)
のようなものもある。

いずれにしても、忘れないための覚え書き、記録・伝達のための文章等を指すのに対して、本来のラテン語には「思い出すべきもの、こと」という少々異なるニュアンスがあるように思った。
つまり、人間はもともと忘れっぽいものだから、忘れないようにメモしようという消極的、予防的な意味に対して、本来のmemorandumには「思い出すべき重要なものがあるよね」という能動的・啓発的な姿勢を私は感じるのである。

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