教材研究??? [企画・思考]
教材研究???
「教材研究って何だ」
ある日、ふと私の中に疑問としてわき上がってきた。
「教材研究しなきゃ」
「教材研究が足りないね」
「教材研究こそが重要なのよ」
現場では、教材研究という言葉が日常にしばしば登場する。
しかし、これほど曖昧な言葉はないと私は考えている。
事実、平成29年9月18日現在、Wikipediaには次のように示されている。
「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2011年4月)」
そしてそれを指摘された最初の定義がこれだ。
「教材研究(きょうざいけんきゅう)とは、教諭や職業訓練指導員、その他
何かを教授する立場の者が、授業や指導に当たってあらかじめ教授する内容
について理解を深めるための作業である。」
確立された定義ではないが、理解を深めるための「作業」としているところは
「・・・そうだ」と私は思う。
WEB百科辞典等にもあたってみる。
◆
授業計画のなかに含まれる教材を授業目標の達成に役立つように選び,解釈し,
構成し,組織立てる教師の活動。また,それについての教職専門科目の名称。
それが効果的に行われるためには,当然子供の生活や発達,社会の要求との関係
などの検討も含む。小学校教諭1級免許状を取得するためには,教職専門科目としての
「教材研究」を 16単位 (2級普通免許状の場合には 12単位) 取得しなければならない。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より)
◆
教師たちは、このような単元の「教材研究」をするという。教材研究というのは、その
教科の目標を踏まえ、教授方法を予想した内容全般の研究である。たとえば、「大工場
と中小工場」の単元では、教科書の記述を検討しながら、大工場と中小工場の違いにつ
いての諸事実、すなわち総工場数、総生産額の比較、従業員1人当りの生産額の違いなど
についての諸事実を確かめる。またそれらの諸事実を子供に知らせる資料などを探索する。
さらに、大工場と中小工場の格差という事実・現象の生じる原因を説明する理論を研究する。
そのうえで、実際の授業では、写真や統計グラフから、大工場と中小工場の格差の事実を
読み取らせ、さらに、そうした格差の生まれた原因を推理させるという過程を踏む。
理科の「てこのはたらき」の教材研究では、子供に学習させたい原理や法則、ここでは
「つりあいの法則」を確認する。次にこの法則はどんな事実・データが明らかにされれば
導き出されるかを検討し、最後にこの事実・データが集められる実験器具を考える。授業
の過程はもちろんこの逆の方向を踏む。
国語の「最後の授業」では、教科書に記述された物語の展開を追い、最後にこの物語の
主題を明らかにする。[伊東亮三]
(小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)「教材教具」中にある解説より)
◆
どうだろうか。
解説を読めば読むほど、私などわからなくなる。
つまり明確に定義されていない言葉といわざるを得ないのだと思う。
だいたい教材そのものがおかしなことになっていても文科省によって放置された
ままになっている。検定を通っているのにだ。
例えば、日本で最も有名な教科書教材の一つ「ごんぎつね」の表記は教科書に
よって異なっている。何を底本にするかによって違うという見方もあるが、
教科書会社がさまざまな理由で意図的に書き換えてしまっている場合もある。
教材文をスキャンしてコンピュータに比較させれば違いがすぐに明らかになる
だろう。そんなことをしなくても、教室で繰り返し音読させている教師は表記の
おかしなところに気付かなければならない。違和感を感じなければならないのだ
と思う。教材研究?をしているならなおさらだ。
Google検索で「ごんぎつね 教科書による表記の違い」と入れると、面白いほど
いろいろな問題が浮かび上がって来る。「教材研究???」したいと思うだろう。
私は思う。
現場で教材研究という言葉を使うのをしばらくやめた方がいい、と。
現場で広く今広く日常的に行われているのは、「授業準備」だ。
それと、Wikipediaに示されている「あらかじめ教授する内容について理解を深める
ための作業」とは異なるものなのだと考えている。
相当の時間がなければできないからだ。
一教科あたり10分の準備時間では教科書を読むだけで精一杯だと思う。
たとえ10分でも教科書を概観し、日々眺め、読み込むことは重要だ。
10分でできる授業準備を追究することが、今、必要なのである。
教材研究ではなく、「(集中的に行われる)素早い授業準備」の具体的方法論を
見極めたいと、私は考えている。
学校で「教材研究」という言葉を使う際は、せめてその学校内で「定義」することが
重要だろう。
「教材研究って何だ」
ある日、ふと私の中に疑問としてわき上がってきた。
「教材研究しなきゃ」
「教材研究が足りないね」
「教材研究こそが重要なのよ」
現場では、教材研究という言葉が日常にしばしば登場する。
しかし、これほど曖昧な言葉はないと私は考えている。
事実、平成29年9月18日現在、Wikipediaには次のように示されている。
「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2011年4月)」
そしてそれを指摘された最初の定義がこれだ。
「教材研究(きょうざいけんきゅう)とは、教諭や職業訓練指導員、その他
何かを教授する立場の者が、授業や指導に当たってあらかじめ教授する内容
について理解を深めるための作業である。」
確立された定義ではないが、理解を深めるための「作業」としているところは
「・・・そうだ」と私は思う。
WEB百科辞典等にもあたってみる。
◆
授業計画のなかに含まれる教材を授業目標の達成に役立つように選び,解釈し,
構成し,組織立てる教師の活動。また,それについての教職専門科目の名称。
それが効果的に行われるためには,当然子供の生活や発達,社会の要求との関係
などの検討も含む。小学校教諭1級免許状を取得するためには,教職専門科目としての
「教材研究」を 16単位 (2級普通免許状の場合には 12単位) 取得しなければならない。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より)
◆
教師たちは、このような単元の「教材研究」をするという。教材研究というのは、その
教科の目標を踏まえ、教授方法を予想した内容全般の研究である。たとえば、「大工場
と中小工場」の単元では、教科書の記述を検討しながら、大工場と中小工場の違いにつ
いての諸事実、すなわち総工場数、総生産額の比較、従業員1人当りの生産額の違いなど
についての諸事実を確かめる。またそれらの諸事実を子供に知らせる資料などを探索する。
さらに、大工場と中小工場の格差という事実・現象の生じる原因を説明する理論を研究する。
そのうえで、実際の授業では、写真や統計グラフから、大工場と中小工場の格差の事実を
読み取らせ、さらに、そうした格差の生まれた原因を推理させるという過程を踏む。
理科の「てこのはたらき」の教材研究では、子供に学習させたい原理や法則、ここでは
「つりあいの法則」を確認する。次にこの法則はどんな事実・データが明らかにされれば
導き出されるかを検討し、最後にこの事実・データが集められる実験器具を考える。授業
の過程はもちろんこの逆の方向を踏む。
国語の「最後の授業」では、教科書に記述された物語の展開を追い、最後にこの物語の
主題を明らかにする。[伊東亮三]
(小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)「教材教具」中にある解説より)
◆
どうだろうか。
解説を読めば読むほど、私などわからなくなる。
つまり明確に定義されていない言葉といわざるを得ないのだと思う。
だいたい教材そのものがおかしなことになっていても文科省によって放置された
ままになっている。検定を通っているのにだ。
例えば、日本で最も有名な教科書教材の一つ「ごんぎつね」の表記は教科書に
よって異なっている。何を底本にするかによって違うという見方もあるが、
教科書会社がさまざまな理由で意図的に書き換えてしまっている場合もある。
教材文をスキャンしてコンピュータに比較させれば違いがすぐに明らかになる
だろう。そんなことをしなくても、教室で繰り返し音読させている教師は表記の
おかしなところに気付かなければならない。違和感を感じなければならないのだ
と思う。教材研究?をしているならなおさらだ。
Google検索で「ごんぎつね 教科書による表記の違い」と入れると、面白いほど
いろいろな問題が浮かび上がって来る。「教材研究???」したいと思うだろう。
私は思う。
現場で教材研究という言葉を使うのをしばらくやめた方がいい、と。
現場で広く今広く日常的に行われているのは、「授業準備」だ。
それと、Wikipediaに示されている「あらかじめ教授する内容について理解を深める
ための作業」とは異なるものなのだと考えている。
相当の時間がなければできないからだ。
一教科あたり10分の準備時間では教科書を読むだけで精一杯だと思う。
たとえ10分でも教科書を概観し、日々眺め、読み込むことは重要だ。
10分でできる授業準備を追究することが、今、必要なのである。
教材研究ではなく、「(集中的に行われる)素早い授業準備」の具体的方法論を
見極めたいと、私は考えている。
学校で「教材研究」という言葉を使う際は、せめてその学校内で「定義」することが
重要だろう。
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